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■クソゲーが何故生まれるのか?どうしたら防げるのか?■ 多くの人に悲劇をもたらすクソゲーという現象。 出資者を、権利者を、企画者を、開発者を、販売者を、 そして消費者を不幸にする「クソゲー」という、それはそれは残酷な現象。 何故生まれるのか?何故、生産者は過ちを繰り返し続けるのか? 既存のクソゲーについて、出来てしまった理由を考えること話し合うことは良くあるでしょう。 しかし、それを今後防ぐための方法論にまで昇華しているものはあまり表立ってはいません。 ここでは意識的に、クソゲーの出来る理由とそれを防ぐための手立ての一つの考え方を体系的にして提示し、 今後のネット上に現れるクソゲーを防ごうとする情報が、一つの学問・一つの集合知であろうとする未来を期待します。 なお、本稿ではクソゲーの定義はあえて行いません。 ■クソゲーが出来る原因と、生み出さない為に必要な事■ クソゲーが何故出来るのか?という問いは当然古くからあり、それについて様々な意見が吐き出されてきました。 しかし、問いも答えも有効な資料として認められるものが少ない。 体系的に行われ纏められているものは尚少なく、断片的な感情の集積としてのアンケート結果が多い。 怒りや悲しみ、時には哀れみを込めたストリームで終わることもしばしばです。 そんな中、最近私が書いたジャンライン等の話題のゲームに関するmixi日記に対して その世界の悲喜こもごもを知っている友人が、体系的な返答日記を書いてくれた。 以下に、紹介しよう。 ------------------------------------------------------------- クソゲーが出来る原因 ゲーム開発の上流から下流まで、時系列で思いつくまま書いて見ます。 ちなみに、原因が上流であればあるほど問題は大きく、改善は難しいものと思ってください。 では。 1:原案がクソ 例)「モンハンとFF11と脳トレのいいとこ取りしたゲームをWiiで開発します!」 はい死んだ。今死んだ。たった今生まれたプロジェクトが生まれた瞬間に死にました。 もちろんこの原案が絶対であり、この原案を言い出した人間が絶対の権力を持っている場合に限るけど、 基本的に原案がクソな場合、どんなに現場が頑張ってもクソゲーしか出来ません。 神ゲーと呼ばれる作品は一人の天才によって作られる事が多いですが、クソゲーもまた一人のバカによって作られる事が多いんです。 2:予算と期間がクソ 例)「PS2なら半年くらいでマスターアップ出来ますよ」 はい死んだ。 せっかく面白い原案があがっても予算と期間が全く見合ってない場合、そのプロジェクトは確実に死にます。 なぜなら、予算と期間が足りない場合、真っ先に行われるのが「仕様削減」で次に削られるのが「調整期間」と「デバッグ期間」だからです。 仕様削減で全体のボリュームが減り、十分なバランス調整もデバッグも出来ず、出来たゲームをそのまま出すって、そりゃ死亡フラグですよ。 3:上司がクソ 例)「ボリュームが足りないからさ、ボス2体追加して」 はい死n(略) せっかく面白い原案があって、予算と期間も潤沢でも、現場を知らない上司が勝手にプロジェクトに口を出す場合、そのプロジェクトは死へと向かいます。 それが何かあった時に100%安全に切り離せるものであれば別ですが、まぁそんな事はほぼありません。 ちなみに優秀な上司であれば問題の箇所を指摘した後、何故こうなっているのか「質問」をし、 その上で問題の解決案を「相談」します。いきなり「提案」する人ほど現場では信用されません。 4:ディレクタがクソ 例)「良くわかんないけど、いいかんじで作っといて」 はい(略) ゲーム製作ってのは良くも悪くもディレクタで決まる事が殆どです。 適切なロードの長さやクオリティの高い背景、果ては主人公の足音まで、ディレクタは様々な「良質」を知っていなければなりません。 その「良質」に達していない場合にリテイクを出し、作品を一定以上のクオリティに保つのはディレクタの手腕にかかっています。 「ロードが長くたってゲームが面白ければ売れる」なんて言っているディレクタはまだまだ半人前なんです。 5:開発がクソ 例)「だって、仕様書に書いてなかったですよ」 は(略) プロジェクトの規模にもよるけど、最低でも各セクションのリーダーはエース級でなければプロジェクトは上手く回りません。 ここで言うエース級とは、ゲームに対して深い理解があり、言われた事以上の仕事をこなし、常に周りの仕事にも目を向けられる人です。 仕様書に書いてなかったからといって村人に話しかけただけでロードが入るようなRPGはゲームとして成立しません。 こんな事は誰だって分かるはずですが、世の中には分からない人だっているんです。 と、まぁ直接的な原因はこんな感じで、ボク程度の人間でも把握している事なんですが、やっぱり世の中にクソゲーは生まれます。 なぜなら結局は問題を起こしているのは人間で、その人間が自覚しない限り過ちは何度でも起きるからです。 現場は上司のせいだと言って、上司は現場のせいだと言います。これじゃ改善は望めません。 クソゲーを生み出さない為に必要なのは「垣根の無い円滑なコミュニケーション」と「互いに対する理解と尊重」の2つだけだとボクは思います。 まぁ、そうは言っても難しい事だと思いますけど。 ちなみにジャンラインの件は「予算と期間がクソ」に原因があるとボクは思っています。 内情までは知りませんが、仕事を取ってくる人間が「このくらいの予算と期間でいけますよ」と言った事が全ての始まりであり、終わりだったんじゃないかなぁと予測しています。 世間じゃあまり知られていませんが、今ゲーム開発会社ってのは山ほど存在しています。 その中で仕事を取るためには「安く、早く、良質」なものが作れるという事が必須になってきます。 なので基本的にはどこの会社もギリギリの予算で開発費を請求します。 ですが、ノウハウの無いものを作るというのは想定外の出来事が立て続けに起こるものです。 そこにかかる予算や期間というのも当然出てきます。 だからある程度の「研究期間」を予め確保しておかなければいけないんです。 「その予算じゃウチでは作れません」では仕事が取ってこれないですが、出来ないものを「出来ます」と言い切っても誰も得をしません。 販売元にも小売店にもユーザにも良い事はありませんし、開発にとっても悪い印象しか残りません。 まぁ、色々と書きましたがクソゲーが生まれる原因は上流から下流まで多岐に渡っていて、把握しているだけじゃ防ぎようがないという感じです。 いいゲーム作ろうぜ。 ------------------------------------------------------------- ……切ない…… これまでの苦悶の歴史を感じさせる…体重の乗ったこのようなレス。 これを書いた友人は名前を出せない人なのですが、本人より許可を得てここに転載することを許されました。 この文章の秀逸なところは、クソゲー生成の要因をただつるべ打ちに書いたのではなく、 上流工程から下流工程へ順序だてて書いているところです。 さらに情報は多すぎず少なすぎず、問題点を5段階のレベルで綺麗に書き分けて見事な骨格を作っている観があります。 こうしてみると「クソゲーが出来ても仕方がない」と初めから諦めかねないほどの 強力なクソゲー生成打線の存在に、とても守りきれる気がしない人もいるかもしれません。 改めてまとめます。 「クソゲーが出来る五つの理由・防ぐための二つの意識」 ▼「クソゲーが出来る五つの理由」として、以下の五項目を。 1:原案がクソ 2:予算と期間がクソ 3:上司がクソ 4:ディレクタがクソ 5:開発がクソ ▼「クソゲーを生み出さない為に必要な事」として以下の二項目を。 1:垣根の無い円滑なコミュニケーション 2:互いに対する理解と尊重 ■クソゲーを防ぐための有効な方法論の一つとして■ さて、「クソゲーが出来る五つの理由・防ぐための二つの意識」について、 これらはゲームソフト制作に限った話ではなくあらゆるプロダクトに対して言えることでもあります。 しかし、良い商品を作るための無数の意見・学問・ノウハウの海の中から、特にゲームつくりのために考え出したエッセンスとしてやはり価値があると考えます。 では、実際にこれを役立てる形でどんなクソゲーの防ぎ方があるのでしょうか? 思想としてのクソゲーを防ぐための考え方を、実際に役に立つ実装としてのクソゲーを防ぐための行動にするのは? もちろん、これも無数のやりかたがあります。 良い商品を作るための考え方同様、良い商品を作るためのノウハウも無数にあるからです。 ここでは、一つの提案としてニールセン博士の10ヒューリスティック法を紹介しし、「クソゲーが出来る五つの理由・防ぐための二つの意識」と紐付けて解説を行い、方法論の一例を示したいと思います。 ■10ヒューリスティック■ ゲームソフトは、水や空気のような必需品ではありません。 実際に体内に摂取しない事を鑑みると、酒やタバコ以上の究極の嗜好品と言えるでしょう。 切れ味の悪い包丁でも、ユーザーはその時切らねば成らない理由があれば、使いにくくても目的を達成します。しかし、面白くないゲームは遊ばれないで終わるのです。 面白く無さ、の理由にユーザーのゲームに対する認識ストレスをここではピックアップし、 「認知工学」というジャンルの権威であるヤコブ・ニールセン博士の提唱する「10ヒューリスティック」と言うものを各工程で意識することで かなりの面白く無さを回避できるものとして紹介します。 http://www.useit.com/papers/heuristic/heuristic_list.html 1. システム状態の視認性を高める 2. 実環境に合ったシステムを構築する 3. ユーザにコントロールの主導権と自由度を与える 4. 一貫性と標準化を保持する 5. エラーの発生を事前に防止する 6. 記憶しなくても、見ればわかるようなデザインを行う 7. 柔軟性と効率性を持たせる 8. 最小限で美しいデザインを施す 9. ユーザによるエラー認識、診断、回復をサポートする 10. ヘルプとマニュアルを用意する ■実際のゲームと10ヒューリスティック■ 以下に、10ヒューリスティックと実際のゲームの実例を述べて行きます。 ▼1. システム状態の視認性を高める ユーザーがゲームをしていて、状態がわからないというのは大変な苦痛です。 ・自分のキャラクターの残りHPがわかりにくい ・マップが広大すぎてどこにいるのか認識できない ・ゲームのロードがいつ終わるのかわからない ▼2. 実環境に合ったシステムを構築する かつて「ネオジオCD」というハードがありましたが、読み込み時間が以上に長いことで有名でした。 いくらその長いロード中にお猿さんがお手玉をするアニメーションを表示し、待機ユーザーを楽しませる努力をしても無理があったのです。 システムは、ユーザーにストレスを与えない有効な動作環境で適切に搭載する必要があります。 ▼3. ユーザにコントロールの主導権と自由度を与える 大人気となったゲームでさえも、この問題は多く孕んでいます。 スト2において「昇竜拳と波動拳が出せないから遊ばない」というプレイヤーは少なくない数いるでしょう。 思うように動かせないキャラクターでがんばって遊び続ける程、寛容ではないユーザーは今後さらに増えていくことでしょう。 しかし以下のURLのゲームの様に、操作性の複雑さが売りと思われるゲームも有り、単純な問題ではないかもしれません。 http://blog.livedoor.jp/jin115/archives/51348688.html ▼4. 一貫性と標準化を保持する 場面によって、同じ行動の操作方法が違っていてはユーザーに戸惑い、時には怒りをもたらします。 また、野球ゲームや麻雀ゲームが、野球・麻雀のルールや常識に従っていないケースもこれに該当するといえるでしょう ▼5. エラーの発生を事前に防止する ユーザーにさんざん細かいキャラクターステータスを入力させておきながら、少しの操作ミスで全数値がやり直し、みたいなゲームは流石に減っているようです。 一部のアイテムや呪文を習得せずにストーリーを進めるとクリア不可能なケースもこれにあたります。 (私は、桃太郎伝説というファミコンのRPGで「ひえん」という魔法を習得せずにストーリーを進め、クリア不能になりました。) ▼6. 記憶しなくても、見ればわかるようなデザインを行う ウィザードリィのような、それを味としてユーザーにマップを書かせるゲームもありますが 基本的にはユーザーに暗記している事を前提にしてはいけません。 マップ上にあるアイテムやイベントフラグが地形と見まがうばかりに区別できないケースも、最近の過剰なポリゴン技術によって発生しているようです。 ▼7. 柔軟性と効率性を持たせる 戦闘中に武器の装備を変更できるようになったDQ3は柔軟性のわかりやすい例といえるでしょう。 様々な能力値がありながら、ゲーム中に何か影響があるのかユーザーにわからないものは効率性が悪いといえます。 「え?コレって、コレだけなの??」 柔軟性と効率性の無いものは、えてしてこのような感想を受けるでしょう。 ▼8. 最小限で美しいデザインを施す もしも硬派なスポーツゲームの最中に、いちいち漫☆画太郎先生のイラストがアップで映し出され「ナイス!」と表示されても それは嬉しさよりも、違和感や動揺を誘うかもしれません。 また、恋愛シュミレーションゲームでありながらキャラクターデザインが劇画調だと、恋愛に対する意欲に大きな影響が発生します。 ゲームには、それに相応しいサイズと方向性のデザインがあることを意識するべきでしょう。 ▼9. ユーザによるエラー認識、診断、回復をサポートする 即死攻撃の存在を知らずに、プレイヤーキャラが即死した場合はユーザーは何が起こったか認識できません。 また、ストーリーを先に進められないときに何が原因で進められないかが認識できないゲームもこれにあたります。 ▼10. ヘルプとマニュアルを用意する 用意してもそれが使い物にならないと意味は無いのですが、それがあるべきだという発想は十分に浸透しているようです。 しかし、ゲームの売り上げだけではなく攻略本の売り上げで利益を狙う場合は、その内容の充実度には難しい問題を孕みます。 「アンリミテッド:サガ」のように、取扱説明書を読んでも進行が困難で、攻略本の購入が強く推奨されるゲームもあり その場合は、ユーザーに強い満足度を与えるさらなる工夫が必要とされるでしょう。 ■10ヒューリスティックを挙げた理由■ コピー機を作る人たちは、果たしてみんなコピー機が好きな人が集まって作っているのでしょうか? そうでは、ないでしょう。 だから、彼らは造ろうとするコピー機が市場に受け入れられるかどうか、自分で判断せずに専門の部署の調査にまかせ、その結果を開発にフィードバックします。 しかし、ゲーム業界はゲームが好きな人が多く、むしろそうでなくてはやっていけないような業界です。 関わる、あらゆる工程にいる誰もが、ゲームの事を考えて、プレイヤーの立場で想いを抱くことが出来るのです。 これを、有効な開発資源として生かすことに10ヒューリスティックは有効な考え方であると思います。 各人の膨大なゲームプレイが、そのままゲームソフトにおける10ヒューリスティックの実例を持っているに等しく、 特殊な勉強をするわけでもなく、この10項目といくつかの実例を提示するだけで誰もが理解できるでしょう。 そして、これは五つの理由に挙げられている各工程の誰もが参加でき、また上げられる意見を有効に使うためには より強く、「垣根の無い円滑なコミュニケーション」「互いに対する理解と尊重」を意識しなくてはならないのです。 10ヒューリスティックにもとづいて、どの工程の誰もが、意見や疑問を挙げれる。 その挙がる意見を活用しようとする責任者の意識と行動が、プロジェクトチーム全体を「垣根の無い円滑なコミュニケーション」「互いに対する理解と尊重」という方向へ回す。 理想論には聞こえても、空理空論には聞こえないのではないのでしょうか? ■最期に■ 私は、かつて友人をからかったことがあります。 その友人自身が直接関わっているようではないのですが、「修羅の門」というゲームの開発に近しかった様子でした。 「やーい、修羅の門」 そんな言葉を無邪気にかけたものです。 ずいぶんと年月がたってから、その修羅の門の開発関係者が自殺していたという情報に触れました。 クソゲーは、生まれてしまったクソゲーはクソゲーとしてせめて祭るべきという考えは変わってはいません。 しかし、どうせなら生まれないに越したことはないし、生んでしまってもそれが誰か一人の問題ではなく みんなの問題であり、ましてや誰かが自殺するような話であって良いわけは無いと思います。 膨大な金と時間と、人間の情熱を吸って生成されるゲームソフト。 悲劇を繰り返さず、有効に楽しいアウトプットを安定化させるために、ゲームが好きな人間、ゲームを考えるのが好きな人間は、 もっとクソゲーを防ぐための手立てを、学問のように有効な体系とし、それを作り手側が上から下までより強く意識出来る時代を望むものです。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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しかし何故問題は解決しないのか、減らないのか。 |
z 2009/01/27 07:42 |
修羅の門開発者の自殺はクソゲーとは関係ないのでは? |
2009/01/27 10:50 |
>zさん |
町田メガネ 2009/01/27 12:16 |
>修羅の門開発者の自殺はクソゲーとは関係ないのでは? |
町田メガネ 2009/01/27 12:18 |
操作性の複雑さ |
ab 2009/01/28 12:18 |
>abさん |
町田メガネ 2009/01/28 12:47 |
エロゲかよ!(お約束) |
海老天津飯 2010/01/04 01:48 |
>海老天津飯さん |
町田メガネ 2010/06/27 15:52 |
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